愛する妻の散骨

施場所: 平塚沖 令和365日(土)午前11時から

名前:故 森嶋 郁子  故人との関係:夫 森嶋 一彦    立ち合い者 「葬送の自由をすすめる会」 黒沼様 槇野様

 

緊急事態宣言のコロナ禍で、妻の一周忌を迎える6月に散骨が無事にできたことを感謝申し上げます。合同葬が行われる前日は低気圧の影響で各地に風雨激しく、開催されるか数日前から心配しましたが、当日、早朝から徐々に天気が回復して青空のもと、そして波穏やかに合同葬が執り行われました。

晴天にしてくれたのはきっと天国で見守っている「お母さんが」晴らしてくれたのだと亡き母への思いが子供達から言葉に出ていました。

立会人の黒沼さま、事務局長の槇野さまのスムーズな進行役に対し家族一同より感謝申し上げます。

 

自然葬を考え始めたのは、生前妻と妻の両親の墓参りに行く度にお墓の周りが荒廃している風景を目にした時からでした。その時、帰り道で私と妻は今後自分達が墓に入ったら後の墓守は誰がしてくれるのだろうかと薄っすらとした不安な思いがありました。

 

転機は5年前に妻が癌と宣告を受けたときに、私は葬儀やお墓のことを思い浮かべました。こんなことを今考えること自体が自分としてはいけないことだと自分に言い聞かせ、とにかく妻に寄り添って励ましながら看護することが先決だと思い、定年退職後しばらくお世話になった会社を自己都合退職し妻に付き添いました。付き添いをしていた最中、病室で妻から自然葬や樹木葬の話が出てきて、今までの思い出や、色々なことを二人で涙を流しながら話し合いました。

妻が希望している内容をどのように具体化したらよいのか迷っていましたが。宗教学者 島田裕巳 著書「0葬」が目に飛び込んできて、購入し読ませていただき、その内容について妻に話ました。妻は思うように体を動かすのも辛かったようで、うなずいて私に委ねると返事をくれました。

その後、妻は5年間懸命に癌と闘いましたが力尽きて、昨年6月に穏やかな顔で、寝ているかのうに子供達に看取られ他界しました。

 

妻は私に何一つ文句言わず、私を支えてくれて三人の子供達を立派に育て上げ、そして実母の介護に献身的に努め、自分より人を優先に考え行動する妻でした。そんな妻がなんで癌になるのか、正直私は悔しく、どこへ憎みをぶつけてよいのか、大人げない思いで落ち込んでいました。

 

妻が他界した後、当会のことを子供たちに説明したところ、散骨に賛成してくれました。

その時、長女がお母さんとお父さんは実家から出てきて、平塚で新しい生活を始めた所だから平塚沖に散骨してあげるのが望ましと言ってくれました。そして私の思いと子供達からの要望もあり、散骨前に遺骨を分骨し子供達に、いつでも手を合わせられるようにいたしました。

 

 

散骨を晴天の波もなく穏やかな日であったのと、子供達と心を一つにして妻を見送りできたことを、私は幸せ者だと天国にいる妻に感謝の気持ちを込めて、好きなひまわりの花とコーヒーを海に捧げ、天国で幸せになっていることを合掌し深く心より祈りました。

 

一周忌については6月24日、自宅へお坊さんをお招きして執り行いました。